2010年05月29日

鞘師 前田幸作(まえだこうさく)

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昭和9年8月生まれ
日本美術刀剣保存協会による研磨技術等発表会鞘部門
特賞3回、優秀賞11回、努力賞1回
昭和54年 姫路市芸術文化奨励賞
平成11年 伝統文化ポーラ賞

前田幸作さん、76歳。日本刀の刀装技術の第一人者である。
姫路市東今宿にある8帖程の広さの工房には、壁一面に鋸、鉋などが掛かっている。細長い作業台の前に正座し、作る刀を前にして、作業が始まる。「その刀はいつ頃のものですか?」と聞くと「南北朝の頃のもんや」とこともなげに返ってきた。

日本刀は世界に誇る美術工芸品である。播磨地域でも、かつて良質の千種鉄を用いて刀剣の製作が行われていた。日本刀の伝統は現在も息づき、播磨地域でも刀工、鞘師、研師が活躍している。
多くの伝統工芸と同じく、日本刀も分業で製作される。刀工、研師、鞘師のほか、装飾面で白銀師、柄巻師、塗師、蒔絵師、金工師などの職人がいる。
鞘師は刀剣を納める鞘を作る職人であり、刀に合わせてひとつずつ製作していかなくてはならないのである。


鞘の製作
鞘の材料は朴(ほお)の木である。まな板にもよく使われるように、きめが細かくて刃に優しいので、鞘に最適なのである。朴は冬目と夏目の差が少ないうえ、アクが少ないのも特徴だ。「木にアクがあると、刀が錆びるんや」。古いものでは加東市の播州清水寺に坂上田村麻呂が奉納したとされる平安初期の小太刀三振り(重要文化財)を、昭和56年に修復した。その小太刀の平安初期の頃から、すでに朴の木を材料に使っていたのだなと思った。
鞘は二枚の板を使い、刀を挟むようにして作っていく。1〜2年乾かした朴の板を用意する。完全に乾いていないと、反りが違ったりするので湿気には気を使う。まず、ざっくりと長方形に切断し、2枚に切断する。刀身は、厚み、反、長さみんな違うので、刀身がなければ出来ない。刀身を板に載せて位置を決め、印をつける。その板を柄の部分と鞘の部分に切り分ける。柄の方は「頭」(かしら)と呼び、のみと小刀で少しずつ彫り進めていく。何度も実際に刀を当てながら彫っていく。小さな鉋で削ることもある。柄の部分の片側を仕上げたら、もう片方も同様に型どり、削り、彫っていく。そして左右で挟み固定する。柄の部分を先に作り、鞘を後から製作するのは、前田さん独自の方法である。
柄の部分が出来たら、いよいよ刀身を差し入れる鞘に取りかかる。同様に朴の木に刃を当て、型を取り、削っていく。小刀で滑らせるように、シャッシャッとリズミカルな音がする。「ここまでは割合早くできるんや」と前田さん。「しまいの頃は気を使わなあかんけどな」。
何度も刀を当て、これ以上ないくらい丁寧に大きさを見ていく。鞘作りで一番肝心なことは、刀と鞘が触れないことである。「鞘に刀身が触ったらあかんのや。スッと入って、振ってガタガタもいわんようにせなあかん」。
最終的に、ぴったりと合わせるために、刀に丁字油を塗り、鞘に差し入れると、当たるところには油が付着するので、その部分を彫る、ということを繰り返すのである。
完成したら左右を接着するが、接着剤は、米を使った糊「続飯(そくい)」を使う。「ご飯を練って、のりにしてそれで接着する。日本の米やないとあかんのです。粘りがあるからね。他が割れても接着したところは割れないんや」。

1本を作るのに、約12〜13時間ほどかかるが、作業は、何本かを平行して行うことが多く、3〜4日かけて製作するのが普通である。今回実際に見学させてもらったのはこの工程までであった。

その後は外観の成形を行う。四角い筒を持ちやすくなるよう鉋掛けをして丸めていくのである。戦国時代は、走ってもぐらつかないように、卵形に丸めていたが、江戸中期になると、腰に差すだけなので、天秤棒のようにまっすぐに丸めるようになったという。
ここまで仕上げると、ものによっては塗師の手に渡る。鞘の監修者が客と打合せして、希望の色や形を決めていく。発注は全国各地のコレクターや刀剣商からやってくる。重文クラスの刀剣の修理、秀吉や上杉謙信が持っていたのと同じ鞘を作ってくれといった依頼もあるそうだ。外国の愛好者からの発注もある。

1〜2年乾かした朴(ほお)の板。
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灯りは上から照らしたらダメ。横から光をあてて、影を見る。
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仕上げは、朴の葉とトクサで磨く。サンドペーパーで磨くと木の柾目がつぶれて見えなくなってしまう。
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二重鞘。薄くぴったりと刀剣に合わせて作るのは、技術の極地。
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鞘師への道
「まあ、きりのない仕事やからね」という作業が一段落した頃、少し話してもらった。

前田さんがこの道に入ったのは30歳を過ぎた頃だという。もともと指物師として花嫁道具の桐箪笥や長持ちを作っていた。「飽きっぽい性格で…。色々職も変えたよ」と笑う前田さん。20歳くらいの頃、家にあった刀を見つけ、鞘を作ってみたこともあったそうだ。その時は「なんと難しいもんや」と思ったという。
30歳を過ぎた頃、周囲に勧められて東京の日本美術刀剣保存協会の研修会に参加したのが鞘師になるきっかけとなった。講師の広井信一氏に師事した。「鞘はやってみると存外面白かったね。小学館の歴史の本の挿絵にのってる道具を見て、こういうものを使ってたのかと調べて、自分で使いやすいように改造した。これは半分歴史が手伝ってくれるからね。それぞれ、当時流行した型があって、それを調べるのに、夢中になって走り回ったよ」と取り組み始めた当時を振り返る。「古い鞘を割ってみて研究したりしたことが、今につながっている」とも。
日光東照宮の宝物館の館長、上野博物館の当時の学芸課長小笠原信夫氏などの知己を得て、家康の匕首を始め、多くの重要文化財を実際に見ることができたのも貴重な経験であり、また彼らのような研究家の依頼で鞘を製作したことも修業になった。
「半分独学、半分聞き覚えやな。こんな仕事は正式な流儀はない。鞘はこうやるという文献がないからね。それぞれの職人が使いやすいように、好みに合わせて道具を使い作っているんですよ。わたしはわたしなりに、前田流でやっていますよ」と話す。
鎌倉初期、中期、南北朝、室町と、刀の形や、反りも変わる。それに従って、鞘の外形も変わっていく。「わたしは室町末期の刀が面白くて、好きやね」という前田さん。この時代の鯉口(こいくち)は卵の形に丸められて反りも深く「鞘を腰にさすと安定する形だ」と古武道の先生も言っておられたそうだ。

鯉口のいろいろ
@尾張拵えに多い
A薩摩拵えに多い
B室町末期に多い


達人の域
技術コンクールで数々の受賞歴があるが、始めの頃は「他の作品には負けとらへんはずやのに、なんでわたしの方が下や!」と腹を立てたこともある。「そしたら、ライバルがでけへんもんをやったる」と負けず嫌いな面が、技術をさらに向上させていったといえる。
すごいものを見せてもらった。二重鞘である。普通の鞘でさえ非常に細く、精密であるが、その中にさらに刀剣にぴったり沿うカバーのような薄い鞘を作り、元の鞘にセットするのである。二重にすることで、刀身にほこりが入らず、錆びにくくなる。熊本藩の細川家の刀は二重鞘が多い。刀身を入れるより、薄い鞘を入れる方がより難しいことは誰にでもわかる。これができるのは、現在日本では前田さんの右に出る者はいないという。

技術の継承
子供の時分から鉋を使った仕事が好きやったという前田さん。自分では「飽き性」というが「人に使われるのが嫌いやった」のと、タンスを作る時「やるんやったら姫路で一番になろうと思った」ため、あの人がうまいと聞いたらそこへ行って、勝てると思ったらまた別の人を探して行ったそうだ。30歳までに30カ所ほどの職場を点々とした。まるで道場破りのようだった。負けず嫌いで、とことん研究する探究心。持って生まれた感覚と、この性格が前田さんを「日本一」と言われる鞘師にしたのだ。
親しい工芸家、大村雲谷氏に紹介されて知り合った東京大学出身の医学博士で、刀剣会姫路支部長をされていた小山金波氏は、前田さんの「職人」としての感覚を見抜き、鍛えてくれた。例えば板を見て、どこが真ん中かを示すように言われた。前田さんはほとんど外れなく、真ん中を指差すことが出来たそうだ。物差しで測るよりも正確に感じることができるのが、職人の感覚なのである。
「職人は先人がした仕事が手本や。それを自分の手の感覚と目で覚えないといけないね。鉋で材木を削ると、熟練した職人やと、5ミクロンの薄さに削れるんや。鉋は同じに見えても、その人の腕、木の素材、研ぎ方、色んな要素があるけれど、最終的にはその職人の感覚がたよりや。学者は何度の角度できちっと研げと書くけど、絶対できひんよ。上手な人が削ったものを見て研究するしかないんや」

現在、弟子がひとりいるが、前田さんは技術を直接教えることはない。横で作業している音を聞いただけで、状況がわかるので「それやったらあかんで」と声をかける程度だという。弟子の新堀篤志さんは28歳、父は研ぎ師である。彼は「前田さんの技術が一番だから学びたい」と横浜からやってきた。新堀さんの中に、若い頃の前田さんを見たような気がする。

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前田さんの趣味は、なんとオートバイ。BMW、ハーレー、カワサキなど、バイク好きの垂涎の的のバイクを4台所有している。しかもBMWの1000ccは現役で活躍中だ。
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posted by レポーター at 18:02| 鞘師