2011年08月18日
刳物師 山名秀圭(やまなしゅうけい)
大正9年5月3日生まれ
過去に取材した匠たちから、ぜひ取材をするようにと推薦されたのが「くりもの師」山名秀圭さんだ。木工芸は、指物(さしもの)、刳物(くりもの)、挽物(ひきもの)に大別される。指物とは、木と木を組み合わせて家具や道具などをつくることであり、ろくろで挽いて器などを作るものを挽物という。刳物は木をくりぬいて皿や盆を作ったもので、一番単純ではあるが、それだけごまかしがきかない技術が要求されるといえる。
「職人」にならなかった「匠」
播磨の木工芸
木工芸と茶道の関わりは深く、香炉をのせる香盆、茶合、また茶托や茶盆、菓子皿などに木工芸が使われ、多くの作品が作られてきた。また姫路は、藩主・酒井忠以が茶人であったため茶の湯が盛んで、播磨で木工芸が発展したといわれる。特に姫路と三木に優れた作家が多い。
なかでも播磨の刳物師として名高いのが市川周道(いちかわしゅうどう)である。(明治元年〜昭和11年)小竹斎(しょうちくさい)と名乗り、播磨木工芸の中心的な存在であった。多くの弟子を輩出し、弟子達は小竹斎を受け継いでいる。山名さんは、市川周道の孫弟子であり、江戸時代から続く播磨の木工技術の最後の継承者なのである。
趣味か仕事か
現在91歳の山名さんは、正確には「職人」とはいえない。山名さんは刳物師として生計をたてたことはないからだ。しかし、その技は確かに「匠」とよばれる域に達している。
山名さんが「刳物」の修業をはじめたのは、50歳を過ぎたころであった。製鉄会社に長年勤務していたが、定年退職(当時は55歳が定年)が近づいていた。そろそろ定年後を考える時期にきていた。
山名さんは姫路生まれ、姫路育ち。幼い頃から絵が好きで、映画の看板を描く仕事をしていたこともあるそうだ。しかし戦争中は出征し海軍に。終戦は岩国で迎えた。その後は、製鉄所で鉄ひとすじに歩んできたのだが、どこかに昔からの夢を追う気持ちがあったのだろう。以前から興味があった木彫などをやってみたいと思ったのである。骨董店で周道の作品(盆)を見た時、深く感銘を受けたのも一因であったようだ。
山名さんが市川周道の弟子である大村雲谷氏に教えを受けるようになった経緯が面白い。前回登場いただいた鞘師の前田幸作さんが、仲介役となったのである。以前から前田さんは雲谷氏と懇意であった。また山名さんは前田さんとは住まいが近く、顔馴染みであったという。そこで前田さんに紹介をたのみ、雲谷氏の工房に出入りするようになったのである。
「雲谷師に教えを受けるようになって、周道氏が雲谷師の先生であったことなどがだんだんと分り、不思議な縁を痛感しています」。
さまざまな技法で仕上げた盆
修業時代と師匠の想い出
「先生の仕事を手伝って覚えたわけです。先生が言われるのはアウトラインだけ。『初めは大きなのみで』というぐらいです。しかしどうするか聞いたからといって、こうこう、とわかるものではない。それに聞いても自分が得心がいくまで、練習しないとだめです。先生の手つきを見ていくのが大事です。先生がやっているのを見ているうちに『ははーん』とくるんです。
先生は厳しくはなく、大人しい方で、怒られたこともなかったですね。それでも相当緊張しましたよ。彫り間違えたら大変なことになるからね。念頭においていたことは、木を削るわけだから『減りすぎたらどうもならん』ということ。ある彫刻家の言葉に「鼻は高い目、目は細めに」(後で手直しができるから)とありますが、その言葉を念頭に置いてやりました」と想い出を語ってくれた山名さん。雲谷氏のもとにいたのは亡くなるまでの10年くらいだった。もっと尋ねたいことがいっぱいあったと振り返る。
「木には逆(さか)があるでしょう。逆を抜くのが難しい。特に松。雲谷先生のノミ使いを見ているとわかる。『はは〜ん』。手のひねりで彫る一歩手前で手応えがわからないといけない。木は押しても切れないんです」。これを会得するまで時間がかかった、という。宮大工の槍鉋(やりがんな)の引き方を見学に行ったり、機会があれば他の職人の技も学んだ。
山名さんの号である秀圭の名前は、雲谷氏と一緒に百貨店に出品するとき、ふたつ候補がある中から雲谷氏が選んでくれたものだ。「圭」は玉の意味。 「わたしは木の珠が好きなので、これに決まって嬉しかった」と山名さん。
容彫り、浮かし彫りなど多彩な作品
製作現場
ここからは工房を見学させてもらった。取材時は8月18日。残暑の厳しい日だったが、工房は冷房をつけない。木のために良くないからだ。
山名さんの場合、職人ではないので、注文を受けて作るというより、自分で好きなものを作っている。製作過程をみていこう。
「容彫り(かたちぼり)」という手法では、まず作りたい形を木に下描きする。山名さんは市川周道が絵付けしたものを型紙にして継承しており、この型紙を基に下描きし、粗彫りをはじめる。材料の木は乾燥しているように見えても、彫ると材質と大きさにより変わってくるので、粗彫りして一年くらい置く。 ひずみを直して仕上げ彫りをし、乾燥させるという手間をかけるので、作品として完成するのに最低3年はかかるものもあるという。
浅い彫りは、絵を描くように彫り進める。「肉合彫り」(ししあいぼり)という技法は、この地方では平彫りといって「沈め」と「根際(ねき)浮かし」の二方法がある。技術的には彫るよりも絵を描くという気持ちに近く、若い頃の絵の技術が役に立っている。
道具を見せてもらうと、ノミや彫刻刀などがすべてきちんと整理されて箱にしまわれている。譲り受けた明治・大正時代のノミなどもある。「簡単なものは自分で作ったりしますが、特殊なものは別注することもあります。「ノミは使うほど切れ味がよくなるんですよ」。使って研いでいくと、どんどん鋼がよくなってくる。減っていって長さが1/3くらいになると、素晴らしい切れ味になるものが多いそうだ。
一生練習
木はケヤキも好きだが、松は使うほどに味わいが出てくるので一番好きだという。特に肥松(こえまつ)は、黒松の中でもヤニが多いため、粘り強く、強靭な木質だ。その分、彫るには逆目も多く大変だが、時間が経つと、美しい飴色になり、磨いて使い込むのが楽しみになる素材である。
「一生練習です。これだけやっても、満足することはないです。次はこうしよう、ああしようと思いますよ」。
今後取組みたいと思っているのは、衝立てに鉄筆彫りで描く松の木だ、と嬉しそうに話す山名さん。
「目はまだいい。これからもボチボチやっていきますよ」と笑う91歳だ。
鉄筆彫りの松の木
定年間近で始めた刳物が「匠」といわれるほどの腕前になった山名さん。50歳を過ぎれば「もう遅い」とあきらめてしまいがちだが、求める気持ちがあれば、何事にも「遅すぎる」ことはないのだと、山名さんを見て改めて思う。
posted by レポーター at 18:05| 刳物師