
昭和21年7月生まれ
平成12年兵庫県技能顕功賞
播磨ものづくり楽人会会員
書写塗伝承協会会員
独立の想い出−
魚吹八幡の楼門の模型。
奥居さんの仕事場には、網干の魚吹八幡神社の楼門の模型が置かれている。かなり古いものだが、「同じ物を作ってくれといわれたら作るけど、これだけは、欲しいと言われても他人にはやれないね」というのには理由がある。独立する時の想い出が詰まった作品なのである。
「親方とふたりで仕事をしていた時、親方は屋根を、ぼくは他の部分を仕上げるという風にすすめていました。だから、屋根はやったことがなかったんです。 横目で親方がやるのを、ああするのか…と見てましたね。屋根ができないことには独立もできないわけです。なにしろ「屋根師」やから」。
独立を意識し始めてから、何とか独力で屋根を作ってみようと思った。同じ頃(昭和54年)、魚吹八幡神社の楼門が兵庫県の文化財に指定されたことから、楼門を作ることを思いついたのだ。「写真を元に、寸法を計算しながら作ったんです。親方の目を盗んで木取りだけし、細かいところは家に持って帰って作業しました。四苦八苦しましたが、ようやく完成して『これやったら、独立できるわ』と自画自賛しましたね」。
出来上がったところで、親方に「独立したい」と打ち明けた。「お前、屋根師やのに屋根できるんか」と問われ、「うん、自信ある。こんなん作った」といって見せたのだ。
親方は「いつのまに作ったんや」と驚きはしたが、褒めてはくれなかった。しかし悪いでもなく、「ふーん」と言われただけであった。
しかしそこは兄弟のよしみで、得意先から毎月6本の仕事を受けていたうち、2本を奥居さんに回すことにしてくれ、奥居さんは念願の独立を果たすことになった。
「苦労というのは、うーん。なかったかもしれない。親方の腕もよかった。職人は腕のいい親方につかないと技も身に付かないからね。あの親方の弟子なら、といわれるし」。
工程
屋根師の仕事の工程は、木取り、削り、彫り、組み立てという一連の流れで行われる。オーダー製作のため、すべてサイズが違うので苦労があるといえばその点だそうだ。宗派によって屋根の形が違うので、それを覚えるのも大変だという。なにしろ約束事が多いので、そこが難しいところでもあり、また面白い所でもある。内間(うちま)・外間(そとま)・合間(あいま)という寸法の呼び名があり、最近はこれほど大きな仏壇を備える家はほとんどなくなっているが、一間床に入るサイズが内間である。
まず機械で木を寸法に切ることから始まる。これを「木取り」と呼んでいる。部品の種類と大きさに合わせて、ひとつひとつ型紙が必要となるため、これまでに起こした何百という型紙が、引き出しにきちんと整理されている。木に型紙を合わせて墨付けし、糸鋸(通称ミシン)で切り抜く。切り口を小刀で削る。彫刻刀で模様をつけていく部分もある。パーツの種類はなんと千個以上。屋根だけをとっても、棟(むね)、千鳥破風(ちどりはふ)、唐破風(からはふ)、茅負(かやおい)、鬼板(おにいた)、懸魚(けぎょ)、蟇股(かえるまた)、 (たるき)、虹梁(こうりょう)、 桝(ます)、肘木(ひじき)… 何百とある。膨大な数のパーツを、ひとつひとつ作成し、最後に組み立てる。
一部ニカワで接着するところもあるが、机の足をはじめ、ほとんどの部分は、後で分解できるように組み立てるのだという。驚くことに屋根も全部バラバラにすることができる。「次の工程では、塗師が漆を塗るので、塗りやすいように、ホソドメでばらせるように作っています。塗ったら厚みがでるでしょ。塗ったあとでぴったりはまるように、塗りの厚みも考慮して塗り代をとって作っているんです」。神業? いや仏業というべきだろうか。


何百もある部品の型紙の一部。きちんと整理され、保管されている。

作業台ではさまざまな作業が行われる。小刀、鉋、鋸をあやつり、たくさんの部品を次々と作り出す。



道具のこと
機械といって足踏みの糸鋸だけで、全て手作業の仕事。屋根師が使う道具は、鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、彫刻刀、そして小刀である。なかでもよく使うのは鉋で、一般的な鉋のほか、出丸鉋と内丸鉋などさまざまな種類がある。アールの部分は出丸鉋と呼ばれる船底のようになった鉋を使う。内丸鉋は内側にくぼんでおり、柱などを、まず八角形に切ってから角を削るのである。アールの形に合わせて、いくつも揃っているが、一番小さいのは2分つまり6ミリのアールのものだ。「売ってる道具をそのまま使うことがないですね」。使いやすいように既製品を本体も刃も自分で削って調整するのだそうだ。「屋根はこんな道具を使う」と、奥居さんが見せてくれた鉋もまた、面白い。裏に段差がついているのだ。まず一段削り、次はその段差に段を当て、ずらして削っていく。「正式には作里鉋(さくりかんな)ですけど、しゃくり鉋と呼んでいます」屋根の瓦がこの鉋で表現されていくのである。
小刀や彫刻刀は柄の部分も握りやすいように自分で作り直す。切れ味を鈍らせないように磨いでいくと、長さは1年で半分ほどになってしまう。

小刀は、磨いでいくうちに、1年ほどでこの大きさになってしまう。


技術の継承
宮殿師は現在、姫路では奥居さんを含めて3人しかいない。親方であった奥居さんのお兄さんは残念ながら。事故で亡くなってしまった。後継者が育たない理由を、奥居さんは「宮殿師なんて仕事があることを知っている人は、ほとんどいないでしょう。地味だし、見えない仕事やから、なり手もないでしょう」と、あきらめたように話す。「技術は途切れるけれど、仕方がないことやね。これは時代」とも。
娘婿が興味をもってくれたけど、正直言って継いでくれとはいえなかった。仕事面では継がせたいけど、生活を考えると、継がせたくないのが本音だ。
仏壇ではなく家具や他のものを作ることはないのかとの問いに「それは「指物師」という仕事がある。その人たちから見たら、私の作るものは本物じゃないと思われるでしょう。建具屋さんが、屋根師の仕事を真似しても、やはり素人さんの作品になってしまうんですね」との答が返ってきた。「長年修業して培った物が職人技です。専門化しているので、つぶしがきかへんのかもしれない。それがプロといえばプロなんかもしれへんけど」とも。
細分化された分業体制で作られているため、個々の分野での職人の技術力は非常に高い。姫路の職人だけで仏壇を作ると、一台、何百万という価格になってしまう。しかし、それゆえ、他分野への技術の応用が難しい。「職人さんは残らないと思います。一人前になるのに10年はかかるし、10年たったからといって一人前といわれるわけでもない」と、職人として独立する厳しさも語る。
素晴らしい技術が、このまま消えて行くのは惜しい、と思うのはわたしだけではないだろう。
「引退は考えたことはない。死ぬまで仕事はやります」と語る奥居さんの言葉の裏に、技術をつないでいくという、ひそかな決意を感じるのだが。

寸法出しの時は、音が無いほうが集中できるが、たいていは音楽をかけている。邦楽より洋楽好み。音楽の原点はプレスリーだそうだ。

