2013年01月11日

弓師 播磨竹禅 (はりまちくぜん)


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島津藩伝統弓師 播磨竹禅

和弓は大別して「京弓」、「薩摩弓」「尾州弓」「江戸弓」の四種類があったが、現在は京弓と薩摩弓だけが残っている。
宮崎県都城市は薩摩弓の一大産地であり、国内で生産される竹弓の大半が作られている。
弓に魅せられた男は、都城で弓打ちを学び、故郷の播磨に戻って「播磨竹禅」と名乗り、貴重な「にべ弓」を作り続けている。

反りを見つめる
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弓を打ち、人を育てる。

弓の歴史と伝統
弓の起源は石器時代にまで遡り、狩猟や武器として使われてきた。日本では、国家安泰、五穀豊穣祈願の象徴として用いられ、現在でも宮中行事のひとつとして「射礼」が行われている。
日本での弓は武士が嗜むべきの主要な武芸のひとつであったが、明治維新後は、心身鍛錬の手段として「弓道」にひきつがれた。
武士の嗜みであった弓は、それぞれの藩によって様式があった。島津家伝統弓は、三枚打の技法と「薩摩にべ」という接着剤を用いて鎌倉時代からの伝統を守って作られている弓である。

和弓の製作
弓は世界中に分布しているが、和弓は全長が七尺三寸(約221p)あり、世界最大の弓である。和弓の材料は竹と櫨(はぜ)である。元々は、梓(あずさ)、檀(まゆみ)、槻(つき)、榧(かや)、櫨(はぜ)などの単一の素材で作られていた。正倉院や春日大社に現存する古弓も単一素材で作られている。
しかし折れやすいという欠点があったため、平安中期頃から「伏竹弓」という外側に竹を張り合わせる技法が考案され、さらに改良を加えて「三枚打」という技法となった。鎌倉時代になると、接着剤として「にべ」を使うようになった。にべは、鹿の皮から取る膠(にかわ)である。現在では合成接着剤を使用する弓も多く「にべ」を使う弓は特に「にべ弓」と称される。
ニベの作り方は弓師の家に代々伝わるもので、師匠の大峯氏も祖父の残した日記から作り方を研究して再興したものだ。竹禅さんは師匠から作り方を引き継いだ。

【工程】

@真竹の切り出し
製作に適した竹を切り出し、小割りにした後、2〜3年間自然乾燥させる。

A油抜き
真竹を木炭であぶり、油を拭き取る。弓の内側に使う竹は室でいぶし、煤竹にしておく。

B削り
火入れした弓竹は、握りの部分を中心に弓の両端になるほど薄くなるように削る。

C弓芯づくり
弓芯は細く切った竹(ヒゴ)を数本並べて、即木となる櫨(はぜ)で挟み、にべで貼り合わせて作る。

D打ち込み
弓竹で弓芯を挟み、額木、関板を付けてニベで接着し、紐で数センチの間隔で巻いていく。この紐の間に竹で作ったクサビを打ち込んでいき、弓のカーブをつけていく。
「弓を打つ」というのは、この工程のことであり、弓作りのハイライトともいえる。前から、横から、眺めて成りを確かめながら、最終的には約160本ほどのクサビを打ち込み、弓成りに仕上げる。その後は、硬化まで3日ほど、休ませておく。

E籐放し(ふじはなし)
硬化したら、クサビを外して張り台で弓の型に整える

F張り込み(荒張り)
整えた形の弓に玄を付けて出来具合を見ながら足で踏んでさらに形づくる。荒張りといい、この過程で弓の良否が決まる。その後、弦を外してから2〜3年寝かす。

G張り込み
2〜3年寝かせたものに再び弦を付けて、足で踏んで形を整える。

H仕上げ
10日ほど張り込んで型が落ち着いたら、額木、関板を鉋や小刀で削って仕上げる。「村取り」ということも。
古くは村を取る「村師」という専門職もあった。

I装束
籐巻きをして完成。

自然乾燥させた竹
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乾燥
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竹へのこだわり

竹は岡山県の津山産を使う。雪が降っても雪をはねのける強さのある竹でないといけない。竹は三年ものを使う。
よい竹の条件は7つあるという。

@太さ 周囲が七寸あること
A三年〜四年の竹
B2m30cm長さの中に、節が9あること。
C節は低いこと
Dまっすぐであること
E傷がないこと
F真竹と淡竹を間違わないこと


毎年、10〜11月に竹を伐採しにいく。以前は業者が有る程度管理し、選別してくれたが、現在実際に言って確かめないといけない。使える竹は100本のうち10本ほど、すなわち1割ほどだという。
竹は年々よいものが少なくなっている。竹林育成の必要性も感じるという。

しかし竹よりもさらに入手が困難なのは櫨の木で、営林課に頼んで見つかった時に連絡してもらうのだという。
竹禅さんいわく「樹齢二百年程度ではだめ。本来は三百年くらいのものを使わなくてはいけない」。しかしほとんど見つからないという。櫨は、ウルシ科の植物で、和蠟燭の原料にもなるため、江戸時代は藩が育てていた。しかしかぶれることもあるので、一般にはあまり好まれない。

弓師になるまで

竹禅さんは満州で昭和20年に生を受ける。終戦の年である。5歳の頃に引き上げて姫路に移り住んだ。その後、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)に入学。英語をやりたくて英語クラブに入ったという。ところが、外国人と話すうちに、日本の文化、歴史を知らないことに愕然とした。そこで弓道を学ぶことにしたのだ。
のめりこむ体質なのだろうか。弓道を始めて、弓を極めたいと思いはじめた。両親に大学を辞めて弓作りをやりたいと申し出たが大反対される。大学を中退して、家出同然に宮崎県都城へ向かった。都城は名高い竹弓の生産地である。
当時のこと、夜行列車で都城についた竹禅さんが向かったのは商工会議所。知り合いも、つても何もなかったけれど、地元の産業なので、紹介してもらえるだろうという魂胆だった。たまたま課長さんが話を聞いてくれたが、現在では家内工業がほとんどで、よそ者は受け入れないだろうと言われた。ただ一カ所だけ受け入れてくれるかもしれないと紹介されたのが、恩師大峯義照氏だった。
大峯家は、祖父が弓師であったが、父の代に一端途絶えてしまったという。義照氏は長年大工をしていたが、祖父の日記を調べて、技術を復活させていたのだった。技術は一子相伝で、にべの作り方も他人には教えてくれない世界だったのである。

若い竹禅さんは、帰るに還れない思いで、必死で頼み込み、なんとか弟子入りを許してもらった。ただし条件をつけられた。
ひとつは地元での保証人をつけること。これは、ありがたいことに商工会議所の課長さんが引き受けてくれた。もうひとつは勘当をといてくることだった。
結局、また夜汽車に乗って、姫路に帰り、両親に頼みこんだ。「親父は黙ったままだった。三日三晩の三日目に、一言『勝手にせい』と言ったんです。そしておふくろが大峯氏さんに手紙を書いて持たせてくれました」。晴れて入門させてもらうことになった。
「本気でやろうと思ったら、何とかなるもんや。でも憧れだけではダメ。まあ、私はもう、行く所がなくて、背水の陣だったからね」と笑う竹禅さん。21歳の時だった。

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修業時代
無事弟子入りを許されて、大峯氏の元で弓作りを学び始める。大峯氏自身、独学で研究したため「一子相伝」にこだわらず、惜しみなく技術を伝えてくれた。
しかし、「にべ弓」に夢中になり、にべ作りに打ちこみ、竹禅さんいわく「家族をほったらかしにしたんや」。それを知った師匠は「家族を放っておいて、まともな弓ができるか」と激怒。昭和59年には、立花大亀師が再興した奈良県大宇陀(現在の宇陀市)の禅寺(松源院)へ行くことを命じられ、二年間寺男をしながら弓を作った。その後、織田家の菩提寺である徳源寺に入寺し、境内に弓道場を建設するなどした。
大亀師ゆかりの寺だけに、著名人達が多数訪れたという。この辺りはエピソードが色々あるようだが、それはまた別の機会に。
奈良で4年間過ごし、昭和63年には晴れて大峯義照氏より、播磨竹禅の名を賜った。
平成になり故郷の姫路に「弓工房」播磨を開き、10年後に同市飾西に工房を移転し、現在に至る。

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にべ弓打ち
1月。私達は再び工房を訪れた。にべ弓を打つところを見学するためだ。にべ作りは竹禅さんが、一子相伝の技を大峯氏から受け継ぎ、まだひとりで作っている。
まず湯せんで溶かしたにべを竹ヒゴにヘラで均一の厚みで塗っていく。全て塗り終えたら、ひとまず紐を巻く。
この日の予定は6本。すべてににべを塗り終え、巻き上げると、火を起こす。「さあ、今から戦争やで」と静かな闘志を見せる竹禅さん。火打ちに取りかかると一瞬も気が抜けない。
大きな火鉢に炭を入れ、まず弓芯の先端部分に水をかけ、火鉢の上にかざす。これが薩摩流の「火打ち」である。にべが隙間からににじみ出てくるまで温めると、紐の間に、竹クサビを打ち込み、弓成りをつけていく。次に中央部分、残りの部分と3回に分けて反りをつけていく。にべが温まっているうちにこの成りをつけ、しばらくおくとにべが固まる。この際、気温や湿度が高いと、再度にべが固まらないため、反りが動いてしまうため、12月〜2月中の作業を行う必要があるのだ。
3日ほど置いてクサビを抜き、その後2〜3年寝かせ、水分を完全に抜く。3年置いたものは特に「3年枯らし」と呼ぶそうだ。
見学した日の気温は6度。それでも反りが動き、何度も打ち直して、理想の反りにしていった。

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火打ち
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竹禅さんは「にべは生きている」という。合成接着剤は、せいぜい30年ほどで寿命がきてしまうが、100年以上も前の弓、例えば鎌倉時代の弓でも使えるのはそのため。
シーズン中に作るのはわずか10本ほど、という貴重なにべ弓。弓を育てるために、今日も弓を打つ竹禅さんだ。

修理を待つ弓
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弓を育てる
弓道を始めた時、弓とは一生離れないと思った。「一生弓と関係を持つために弓師になったようなものだ」と竹禅さん。「わたしの弓を使って、昇段しました。という連絡をもらうと嬉しいです。弓はその人の分身なので、使い手に合った弓を作ってあげたいと話す。手の大きな人、小さな人、指の長さなど、それぞれの合わせて作っていく。使ってもらってこその弓だし、壊れれば、修理もする。「弓を育てていく」という心で使ってほしいのだという。
林田にある工房で一緒に弓作りをするのは、24歳と28歳という青年。そして古い弓を修理・復活させたいとする40歳代後半の塗師の男性。「弟子やない。一緒に作っている仲間」という。三人とも弓道を学ぶうち、弓師を目指すようになったのだという。
山里の工房で、弓を打つ音が響く。弓だけでなく、人も育てていく音だと感じる。

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posted by レポーター at 00:00| 弓師